玉川上水沿いのジャングルからの徒然なひとりごと

どれかに絞るの難しい

2015-02-22 Sun 14:01

過ぎてしまったバレンタインデーのチョコの事。

正月関係が落ち着く前から節分用品にまぎれて
店に並ぶバレンタインデー用のチョコだが、
出かける先で時間を潰しがてら眺めていると
よくもまあこんな凝ったパッケージで
中身も凝っててこの値段で出来るなと思う。

「義理」ならチロルチョコ1個でもいいのだろうが
¥300ちょっとの値段で実にこじゃれた箱におさまっているのを
見ると、最近ネットでよく出る近隣国からの観光客の
「なぜ日本ではこんなに…!」という傾向の、驚きの報告記事も
分る気がするのだ。

袋にぽいと入れて投げてよこすのがスタンダードな国では
いちいち緩衝材にくるまれ、美麗なパッケージにおさまったものを
さらにまた専用の袋に入れ、余分の袋までつけてさし出してくれる
売り手に驚愕するのは想像できる。
20年くらい前だから今と事情は違うだろうが、ロンドンで買い物したら
商品を入れた袋から青い塗料が擦れる度取れて、他のものにその青い欠片が
古いペンキのようにぱらぱらと付いていた。
普通こういうビニール系の袋の全面に色が付いている場合、
樹脂自体に色を練り込むもんだと思うがそうではなく、
ビニールの上に印刷というか、塗料で色がひいてあった。
それがいとも簡単に摩擦で剥がれるという品質にも驚いた。
日本ならこんな品質、試作段階でNGだ。

大体海外のパッケージは簡素だ。
食品の場合こんなでいいのかと時折不安になる材質のものも
多いのを見てると、日本のそれは過剰ともいえる。
食べ終わったらすぐ捨てるような¥100にも満たないお菓子に
ここまできれいで質のいい紙で、ミラーコートする必要あんの?と。

150216_.jpg

「モッタイナイ」文化の中の大いなる矛盾だが
デザインの参考になるなーと、ついつい箱にひかれ
「自分用」にチョコをいくつも買ってしまったバカな自分。

ちなみに赤いネコの箱はカンペンケースのようになっているので
使用後リユースしようと思っとります。

パッケージはいいけど中身は…ということも最近はあまり無く
中身もそれなりの水準があるのが、日本のすごいところ。

150216_19.jpg
にゃんこ型チョコが…ふぉおおお

そして、2/14に博多へ出かけたらこちらでは有名な菓子店の
店先にこんな期間限定品があるのを発見し…

150215.jpg

つい買ってしまった。
ちなみにコレ、毎年この期間限定で出しているらしい饅頭で
ここの看板商品の饅頭のあんこをいちご味にして♡型にしたもの。
普段は1羽だけの千鳥の焼き印が2羽に。
変に香料バリバリのイチゴ風味ではなくしごく上品なお味でした。

一体どんだけ甘いもの買ってしまってるんだ。
期間限定とグッドデザインのもの、ほんとに困ります。

150215_15.jpg
手前のブレッツェルは、この老舗菓子店の系列のドイツ系パン店の。
カリカリ食感が甘いものに飽きた口に合います。



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曖昧な日本人はもっと評価されるべき

2015-02-11 Wed 15:51

今我が家はテレビも無ければ新聞もとっていない。
東京に居た時には引っ越し前まで新聞をとっていたが、
引っ越しを機にやめた。

テレビは、地デジ移行の際チューナーが不良品だった事もあって
そこまでして観たいか?テレビ。
と自問自答して、きっぱりやめた。正解だった。

無くても、とりあえずPCあればすむ。

いまだにガラケーだが、一分一秒惜しんで最新の株価情報や
ニュースを知りたい訳でもないので、それで別に不便は無い。

新聞に関しては、ずっと家に新聞があったし、テレビと違って
時間の有る時に自分の都合で読み返すことができる媒体として
アナログ寄りの自分には合っていた。
しかし、震災と原発事故以降、新聞の内容にどうなんだろうと
感じる事が多くなっていたのは確かだ。
例えば…

あきらかに坂本龍一氏を個人攻撃しているかのような
記事が以前産経に載っていたが(とってないけど当時騒がれた)
それをみるとなんとも品の欠片もない、個人攻撃でしかなく、
YMOを全く知らない若い世代か、あるいは聴いた事もない老齢の記者なのか
どっちなんだろうとその極端さに呆れた。

電気を使う生活をしているなら文句を言うな、というのは誰にでも
当てはまるので、それを言うのはおかしい。
電力の確保の方法が原発以外に考えられないか、と言っているにすぎない。
産経の論調なら日本で電気料金払っている人達は全て何があろうと
原発に文句言うなという押さえつけ理論がまかり通ることになる。
異論も言えないというなら、それを認めるマスコミは
政治がどんなであろうとそれにも異論も言わないというのか。
そんな馬鹿な話はない。
(当時の記事についてはこちらを参考にしてください)
2012年の産経抄→クリック

この時にも「たかが電気」という言葉がいいように使われていて
「原発はもうやめて欲しい」という人達への攻撃に
いまだにこの言葉を使う人がいるようだが、
これこそこんな浅薄な意図的なはき違えも無いもんだと思う。
そして、こういうことを新聞が主張するのがとても怖い。

それを新たに思ったのが、2/7掲載の次の産経抄だ。

わがことながら日本人は、敗戦から70年という歳月をかけて
本当に優しくなった。
「イスラム国」という名のならず者集団に空軍パイロットが焼き殺されたヨルダンは、さっそく報復爆撃を始め、指揮官を含む55人以上を殺戮した。

▼ヨルダンでは、「なぜ2人も殺された日本がともに戦わないのか」という声が
高まっているという。日本には憲法の制約があって云々(うんぬん)
と説明してもまず理解されぬだろう。

▼憎しみの連鎖を断たねばならぬ、というご高説は一見もっともらしい。
後藤健二さん自身も数年前、「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。
-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」とつぶやいている。

▼だからといって処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか。
助けにいった湯川遥菜さんが斬首されたときの写真を持たされ、
家族に脅迫メールを送られ、心ならずも犯人側のメッセージを何度も読まされた
後藤さんの心境は想像を絶する。

▼仇(かたき)をとってやらねばならぬ、というのは人間として当たり前の話である。
第一、「日本にとっての悪夢の始まりだ」と脅すならず者集団を放っておけば、
第二、第三の後藤さんが明日にも出てこよう。

▼日本国憲法には、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、
わが国の「安全と生存を保持しようと決意した」とある。
「イスラム国」のみならず、平和を愛していない諸国民がいかに多いことか。
この一点だけでも現行憲法の世界観が、薄っぺらく、自主独立の精神から
遠く離れていることがよくわかる。
護憲信者のみなさんは、テロリストに「憲法を読んでね」とでも言うのだろうか。
命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない。



この記者、どういう人か知らないが…
自分の金でいっぺんインドの隣のイスラム系の国に行ってみるといいと思う。
あるいはペシャワル会の中村医師に付いて行ってアフガニスタンで重機を運転して
水路確保に汗を流したらいいんじゃないだろうか。
いかに、マスコミの情報が偏ったものであるか。

後藤さんの最期の心情など、後藤さんにしかわからない。
この記者が代弁することでもなければ、ましてそれを憲法放棄に
つなげて新聞で熱烈な産経読者を煽ることでも無い。

前述のインドのお隣の国に行った事があるが
アフガニスタン近くの地域はカラチ辺りとは違う部族が住んでいて、
ソ連製の武器がそこいらで売られ女性の姿は全く無い、湾岸戦争中という
だけではない感じでなにか殺伐とした空気があった。
彼等の全てがそうだとは言わないが、数代前の祖先の仇討ちを、
やはり数代後で事情も知らない、しかも異国の現代の大都会で暮らしている
そんな相手に行う、そういった考えがいきている地域だった。
彼等は名誉を傷つけられる事を何よりも嫌う、誇り高い人達だった。
それは信条が作ったものだ。

その思考は、私には理解できないものだった。
いや、日本でも会津と長州はいまだに雪解けとはいかないわけで
明治になってもしばらく仇討ちが事実上存在していた国で
全く理解できないといったらおかしいのかもしれない。
しかし、報復で殺人をするのを是とするその思考の大きな部分が
宗教に拠るとしたらどうだろう。
およそ日本ほど宗教にゆるい国もない。
そして自分の考えとか立ち位置といったものを主張しなくて
生きて行ける国も少ないんじゃないかと思う。
それを、ヨルダンの真似をしろと?

ヨルダンの人達は、同じ宗教でも逸脱した集団に対し怒りを募らせている。
宗教という彼等にとって行動の規範になる絶対的なものがあるが日本はどうか?
日本もまたその「仇討ちの仇討ち」を覚悟して生きて行くという
宗教観を持つのならわかるが、そんなことできっこない。

旅行中、湾岸戦争中だったこともありヒマそうなおじさん達から
「お前はブッシュをどう思う?」「お前はフセインを支持するか?」
等と囲まれて聞かれたが、気楽な年若い旅行者だったから
「ブッシュもフセインも支持しない」という答えでも許してもらえた。
ニコニコしながらフセインの写真を見せて来る、そんなおじさん達の
集団に囲まれたらどう答えるべきか、そんなこと日本にいて
考える事も無い。
そしてその国では日本人というと「アメリカに原爆を落とされても
非常に発展した、勤勉な国民の見習うべき国だ」という見解が共通認識と
してあって、セクハラ以外は嫌な思いをすることが無かった。
いやむしろ馬鹿な学生に一定以上の礼儀をもって接してくれた。
一方で日本に出稼ぎに来ている人が多かったので、日本に詳しい人ほど
アメリカとの関係など日本への複雑な見解を持っていて
そういう人は同時に自国の現状も憂慮していた。

イスラムを国教とする国々とは日本は今迄適度な距離を持ちつつ
宗教とは分けた付き合いを続け、その関係は良好なものが多い。
はっきり言ってその宗教が発展の足枷になってしまっている
例があると思うが、地域や国でガチガチ度合いは全く違う。
日本のような国に慣れきっていると宗教は理解不能な部分が多く
数百年も前にやはり数百年にも渡り沢山の国を巻き込んで
殺し合いをしてきたイスラムと十字軍の歴史は、歴史として
書物で読んでもそれを理解するのは難しい。

それなのに、日本が誰か一部の人に、それもマスコミや
政治家といった勢力に乗せられる形で、「報復は人として当然のこと」
と今更のこのこ参加するのはあまりに浅すぎる。

イスラム指導者からも非難の声があがっているあの自称国は
なぜ生まれたのか、そこに武器を供給しているのはどこなのか。
パレスチナとイスラエルの諍いは何故終わらないのか。
「やられたらやりかえす」からではないのか。
その思考を、ゲリラ戦もできず戦争に負けたらころっとなびいて
今も思いやり予算を拠出している日本が自分のものにできるのか?
「仇討ちを」と叫ぶ意見には到底賛同できない。私の感想はヒストリエのコレだ。
(もっともこのコマ、息子の仇討ちシーンなんですけどね)

historie.jpg

世界有数の軍をもっているアメリカには当然憲法9条は無いが
自国民が誘拐されているし死亡しているではないか。
なんで憲法放棄につなげる?
日本の地道ないいイメージを広めて来たのは勇ましい事言う政治家じゃなくて
日本で暮らすように謙虚に生活してきた普通の日本人の方々なんじゃないかと
思いますけどね。
いかに人を殺さず、平和に暮らすのかそれも闘いであって
平和ボケという言葉でまるでそれを享受するのが怠惰なように言う
論調は、おかしい。どうやって極力争いを避けるかが霊長類の一番頭を使う
カシコイ部分ではないのか。

日本人はもっとはっきり言わなければとよく言われるが
そのはっきり言う事の根拠とする情報はどこからのものにするのか
それによっても却って墓穴を掘りかねないし
そこに覚悟と思想が無いならヘタに言わないほうがいい。
相手の事を考え空気を読むというのは場合によっては身を護る。
そして、はっきり言っている人が良くものを考えているかというと
決してそういうことでもないからだ。

坂本龍一氏の例の記事については、その後産経で本人が
説明をしている。「ほんとうに言いたかったことは」←クリック
こういうフィードバックが、もっと欲しいと思う。
本来、感情的に、一方的にあんな記事を書かなければ必要無い事だったと思うが
今回の「こんな憲法いらない」についてはフィードバックが
あるのかどうか。




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