2017-02

最近観た映画②「スノーデン」

「沈黙」の後も観たかった映画があった。
オリバー・ストーンの「スノーデン」。
数年前非常に話題になった、あの彼に取材し製作されたとあれば
とても興味ある。

が!「沈黙」の時にガラ空きだった近所の映画館
(これがあるイオンモール自体は客は入っている)
で上映してくれれば近くていいのだが、何故か上映予定に無い。
「相棒」やるならこっちをやれよと言いたいが、調べたら
「スノーデン」自体、どういうわけか福岡での上映館がオソロシク少なかった。
モールに入ってるTOHOシネマ系では殆ど全滅のようで
福岡では全部で2、3箇所しかなかった。
なので天神ソラリアの上にある映画館へ行ったのだが、ここも60名と
収容人数が少ない場所。
そんなにみせたくないんかと勘ぐってしまうではないか…

とにかく、福岡一の繁華街天神だけあって60名のシアターは
埋まっていて安心したのだが、上映の場所が少ないというその時点で
なんかもうフェアじゃないというか、残念になる。

映画の感想は…
まさに「事実は小説より奇なり」で、帰宅したら
PCのカメラに絆創膏を貼りたくなる。

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ちぎって投げたような雲ぽっかり。今冬は福岡にしては天気がいいような…

ここでうだうだ言うより、とにかく観て欲しいのだが、
なにせ自由の身ではない彼に取材し、彼が話した事だけを映画化したという事情から
監督の創作が入れにくかったのではと感じた。
事実を元にした映画だが、スノーデン自身全てを話した訳ではないだろうから。
かといってスノーデンと反対の立場の政府機関に取材は厳しかったらしいし
(スノーデンのいた機関に取材を申し込んだらパンフレット送られて来ただけで終わったらしい)
視点があくまでもスノーデン側からの一方的なものになる。

なのでドラマ性等の「映画」としての創作の面白さという点では
ちょっと浅いというか、恋人以外のスノーデン氏と家族の関係とか、
監視社会の現実やスノーデンに命令する側の人達の描写についても
もうちょっと説明してほしいところとかちらほらあった。
人の生活を覗く違法行為や一般人を陥れたり、誤爆で人を殺す可能性などの
エピソードが語られるが、インテリ右翼のスノーデン氏がすべてを捨ててまで、
国家的機密を盗み逃亡するに至る理由と納得させるには、映画の描写はちょっとぬるい。
そのかわりテンポよくどんどんと話が進む。退屈する暇がない。

俳優より実在の一般人のスノーデン氏の方がイケメンなのがなんともいえないが
それでもこの主演俳優、よく化けている。雰囲気が似ているというのか…
見所の1つ、情報をコピーして持ち出すシーンがハラハラさせられるが
つくづく同僚には恵まれてたのね、スノーデン…と思えてしょうがない。(以下ネタバレ)
靴でとっさに隠してやる同僚(正直これはどこまでホントなのかと…
絶対うっかり踏んでしまいそう。すごい動体視力)は頭も切れる上に
手話でもジョークを飛ばすクールガイだし、
もう一人のオタク同僚も、勘付いてたんだろうが、
休暇の言い訳のアドバイスまでして見送るという…
この同僚達がその後どうなったのかも心配になるが。

映画の最後の方で、トランプが「スノーデンは死刑だ!」と
主張してる画面がちょこっと映るのだが
最近になって、ロシアがスノーデン氏をアメリカへ
「売り渡す」という話が出てて、なんというタイミングだろうと
思うわけですが…
トランプもロシアの某コワいトップの方も、どこまでがオモテと裏なのか
まったくわからないから、なんとも言いようが無いけれど。
何を信じたら良いのかがわからなくなるというのも、この映画で
描かれている事だし、そういった現実の中一部の人間だけが
不足のない暮らしをしてるのもまた現実で、いろいろ考え出すと
わけわからなくなるのが「事実を元にした」話のこわさ。

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既に2/4にはこんなに菜の花が。

気付けば福岡では2月25日現在上映館はたったの1館。
駅ビルにハンズやマルイが入ってても
マフィアみたいなファッションの某政治家が支持される土地柄が
こういう所に出てるんじゃないかと思ってしまう訳です。
なんでこんなこと言うのかというと、
上映打ち切りの圧力があったとか無かったとかいう話が囁かれてるから。
現在上映されてるから打ち切られずに済んだんだろうが、
もともと上映館が少ないのにそこまでやるってどうなの。
いや、映画も娯楽であって需要なければという理屈はわかりますが
今回に関してはどーもね。

恐ろしいのはこの話がフィクションではなく現実に起こった、
そして現在進行形の話であって、
もっとこわいのはその映画にどう考えてもシカトしたい圧力が
かかってるなーとわかる対応がされてること。
アメリカ本国でも監督への記者会見は冷淡だったようだが
日本もそれを踏襲している。

学校や会社といった何らかの組織やグループ、あるいは宗教もそれに入るだろうけど
そういうものに属してその中の規則にのっとっている暮らしの中、
いやそれは明らかに理不尽だろう、とか人としてそれはおかしな考え方だという事があった時
個人はどこまで自分の信条を通すことができるのか。
おかしな方向ならばモンスター扱いだが、そうでないまっとうな疑問の時に
対応してくれない組織なら、会社ならブラック扱い。
でもその相手がヘタしたら人権保護をしてくれないような「国」ならばどうするか。
今の日本にあてはめて考えても、とっても起こりうる、コワい話。
なんたって教育勅語を唱えさせる幼稚園に「感銘を受けた」首相夫人が名誉校長に
なれるんだから。(そんで問題になったら逃げたけど。ゴミを埋めるわ
土地取得の経緯疑惑だわ何が日本人としてのアイデンティティ教育なんだ?)
フツーだと思っている事に疑問を持つことは大事だし、それに圧力を
かけてはいけないと思う。

映画は娯楽と言われればそれまでなんだけど、
たまにはこういう映画も、はなから「陰謀論だ」「反日監督の映画だ」
などと喰わず嫌いせず観て欲しいと、
そんなふうに思った「愛国」幼稚園絡みの疑惑に
「レッテル」という言葉を使うのが好きな首相がキレてる今日この頃。

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最近観た映画ー「沈黙」

どういうわけか1月から2月にかけて映画を4本も観てしまい
どれもそれぞれ良かったのだが、今まだ上映中の2本のうち1本の
どうでもいい感想を書き留めてみる。ネタバレアリなので
未見の方はご注意下さい。

マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」。
クリスチャンだった遠藤周作原作のこの映画は、本との出会いから
長い年月を経て映画化されたものらしい。
その年月のうちに脚本家も監督も自身の経験から当初の印象とは
また違う、彼等なりの観点というものが醸されたと映画を見終わった後
インタビューで読んだが、確かにこれは10代が観たら
何のコッチャと思ってしまうかもしれない。
なんでそんな宗教を命をかけて信じなければいけないのか、
棄教なんて簡単な事なんじゃないの、と単純に10代の自分なら思っただろう。
人生の選択に迷ったり不条理に怒った経験のある中年以降の鑑賞に
たえうる映画な気がする。

舞台は江戸時代、島原の乱のすぐ後の頃の長崎。
キリシタンはご禁制で、雲仙の温泉では高温の温泉を
使ったキリシタンへの拷問が行われている。
そんな危ない場所へ「敬虔な師匠が拷問に負けて棄教したらしい」という情報を
信じたくない教え子の神父2人が、ポルトガルからマカオにいる日本人キチジローの
案内で、長崎へ密入国する…

スムーズで先が気になるいい展開だが、
ポルトガルで出発前に神父達が石造りの建物の階段を
降りていく姿が上から映される、このあたりがとても印象的。
神父の黒く長いローブと、白っぽい石造りの建物との対比が硬質で清廉、
いかにもキリスト教的ストイックな雰囲気だ。

ワケありで信用できなさそうなヨゴレの日本人キチジローが
神父を伴い長崎に辿り着く。
周囲の村と接触せず隠れるように生きている貧しい村人達がそこにはいた。
直に教えを授けてくれていた外国人神父は迫害されていなくなり、
「隠れキリシタン」になるしかなく、我流で本来の教えから外れてきていたため
「本物の」神父登場に喜び、少しずつ集会にやってくる村人も増えて来る。
その後キチジローのいる五島に神父の一人が渡ってそこでも歓迎される。
実はキチジローはクリスチャンでだったが、踏み絵を踏んだ事で
いられなくなって逃げたいわば裏切り者だった。

長崎の、特に五島の様子はポルトガルの教会周辺の色彩や空気感とは全く別物。
青い海に生い茂る緑と山、木造の貧しい建物。
冒頭の温泉の湯気で煙る雲仙、踏み絵の際のぬかるんだ泥、激しい雨、
海での水磔刑も湿気充分な東洋の国と、前述の白黒の世界との対比を増幅させる。
描かれる拷問は凄惨だし、出て来る日本側のキリシタン達はヨゴレの村人だし
まったく白土三平の世界の再現のようなのだが、そこに映像美を感じさせる。

ラストの方、神父が棄教した後は原作では年表のようにあっさりと描かれているという。
となるとこのラストは、監督が独自に解釈した部分ということになるのだが、
そこがとても思わせぶりに描かれていた。
何度も踏み絵を踏み、その度に後悔して許しを請うどうしようもない
キチジローが、最後まで実は棄教していなかったというのは、
棄教してしまい幕府の手先の仕事に従事する神父とここでも対比している。
しかしそのキチジローは形あるものにすがっていたがためにキリシタンであると
最後には見破られてしまう。
何度も踏み絵をくぐり抜けて来たキチジローが最後の最後で
引っ立てられるのは最大の皮肉でもある。

そして、棄教した神父が亡くなった時には彼の遺体に密かに
ロザリオが隠されていた。
心の中では棄教してはいなかった、という表現なのだろう。
本来きっとこの神父にはもう形あるもの、ロザリオは不要だったのではと思う。
「棄教していない」と映像で観客にわからせるためこう表現したのではと…
踏み絵やマリア象も、隠れキリシタンの持つマリア観音はじめとする道具類も
あくまで偶像でしかない。救ってくれる筈の神は信徒が教えのために命を
落とす時にも沈黙したまま。

その「沈黙」が作品のタイトルなわけだが、宗教うんぬん以外の
もっと普遍的な問題を掘り下げる丁寧な視点をこの映画には感じた。
キリスト教側の世界の監督が、日本人が書いた、日本を舞台にした
キリスト教を題材にした小説を、こんなに根本を問いかける映画に
したのは正直驚きだった。
幕府側、弾圧する側の役人達はキリシタンの事をよく知っていて、
非常に緻密に心理的な揺さぶりをかけて来るが、彼等にしても実のところ
極悪人でも何でも無い。
スペインやポルトガルがこの映画の時代より少し前に他の非キリスト教国に対して
してきた蛮行を思えば、幕府の処置も理解出来る。
彼等が彼等の神を信じて暮らしていたところに他所から来て「これを信じろ」と言う
自分達と、幕府の役人とで何が違うのか。…とだんだん心理的に迷いが生じて
神の無慈悲な「沈黙」に惑う神父。

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摘んできたミントと終わりかけガーベラ。

この映画に「未開の野蛮な島国」「なんちゃってニッポン」な描かれ方が無かったのは
原作のおかげなんだろうが、1つだけ文句を言うなら、緑のトカゲ。

ロケ地が台湾だったせいだろう、五島で緑のトカゲが出て来るシーンがある。
いくら九州の島でも、五島でそれは無いのでは…
一応軽く調べたら五島には普通の地味な色のは虫類しか生息してなかったようだ。
だれか日本人スタッフ気付かなかったのか。
緑のトカゲは鹿児島管轄の離島ならあり得るが、これはちょっと残念だった。

ついでに言うと、「日本人にとって神は自然」という事の演出か
オープニングとエンディングに虫の声などが効果的に使われている。
この自然の音の中の鳥の声も、なかなかに南国チックな響きが
混ざっていたような気がする。(長崎収録ならすみません、だが)
「ラスト・サムライ」で感じたニュージーランドの植生の違いほどの
違和感は無かったが、九州の方言も自然でとてもいい映画だっただけに、
こういう自然の違いはちょっと気になる。
長崎でロケして欲しかったな〜いろいろ難しかったんでしょうが。
更に言うと、1640年代なら着物や髷がああじゃなかったと思うよ。

そんな文句も、窪塚洋介演じるキチジローの前には吹っ飛ぶ。
この役者はちょっと常人には無いエキセントリックとかズレが
似合う人だが、同時にピュアで透明感があるのがスゴいと思っていた。
そして、このキチジローはまさにそのまま。
殉教してしまう神父役の俳優がインタビューで
「キチジローはもう、見てはいけないものを見た気持ちにされられた」
と言っていたが、ひょろりとした体型で何の躊躇もなさそうに
踏み絵を何度もしてこれからマラソンでもするかのように
ひょいひょいと小走りで去っていく姿は何かおかしみさえ感じられた。

そして、そんな情けないキリシタンとしては最低と思われるキチジローが、
絶対的なものと信じていた宗教に疑念を持ち、
一度その在り方を、自己を否定することになる神父と、
実はほとんど鏡のような存在だったというこの関係性の描かれ方が
とてもいい。

この映画は日本人には理解しやすいだろう。
仏教徒ということになってても普段の生活で宗教を意識しない、
世界的にかなり変わった無神論者的な位置付けの日本人は
しかし、自然に尊敬と畏怖の念を持って暮らして来たし、
人が作った「絶対的な」一神教が合わなかったというだけで
心の中では完全なる無神論者でも無いだろう。
それが前提としてわからない外国の人、特にキリスト教徒の人達が
この映画を観てどう感じるのか、それがすごく気になるところだ。
80年代にロバート・デニーロが出てた「ミッション」を観て
その一神教ゆえの権威主義、エゴイズム、2面性に受入れ難いものを感じたが、
「沈黙」は宗教対立、善と悪、という事だけではない、
立ち位置の違う相手を尊重し対話する事の大切さを描いている。
こう書くとあまりに陳腐だが、この事が今どれだけ難しく、必要とされているか。
日本を含む世界で起こってるモロモロを思うと、この映画が原作から長い時を経て今
西洋の世界の監督によって作られたことが、とても偶然とは思えず、
なるべく多くの人に観て欲しいと思える映画だ。

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こんないい映画なのに映画館がら空きってどういうこと?
(この後徐々に人来ましたが…それでもスカスカだったよ。平日とはいえ)

ヒヤシンスで春到来

立春にふさわしく、ニヤニヤしながら待っていたヒヤシンスの
白花の方が開花した。

つぼみが開いたのは2/1。
ブドウの房のようなつぼみの塊が見え始めてからも
結構時間がかかるのではと思っていたから、案外早くて驚いた。
それだけ窓辺の日射しの強烈さを物語っている。

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1/18の白花球根。


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1/25。

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2/1。つぼみの先が白くなってきたと思ったら開花が始まった。

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翌日の2/2にはいくつかの花が開きはじめて香りが漂い始めた。

そして今回小学生以来のヒヤシンス水栽培をしてみて、おやっと思ったのは
つぼみがそのまま花になるということ。
緑色の塊だから、外側はガクで、その中から白花が出て来ると思ったのだが、
時間の経過とともに緑色が薄れ、外側も白くなっていった。
いや、でも、じゃあガクはどこなんだ?と思ったら、
3枚の花びら×2の組み合わせで出来ているその外側の3枚が
実はガクだった。
そういやユリやチューリップもそうだっけ。

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↓の3枚がガク。内側の3枚が花びら。

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2/3には花びらがだいぶ反り返って「ザ・ヒヤシンス」な形になってきたが
よくみるとあと2つほどつぼみが。↓のつぼみなんてタイミングを誤ったのか
上の花に押されてこのまま開花できないのではという位置にいる。
もうここまで開花すると香りがすばらしく、これ1株でベランダから
部屋に戻るとふんわり香りが判るくらいだ。

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そして立春。1つのつぼみをのぞいて全て開花。
ガクの先端の緑色もかなり薄くなり、輝くような白さになった。
色のついたヒヤシンスも華やかでいいけど、白も清々しくていいですな…
来年も白と、今度は薄い水色みたいな青も買ってみようかなあ。
こうやってハマっていくんだろうなあ…

ヒヤシンスの香りは春先の花らしく水仙やフリージアにも似た強い香りだが
よりスパイシーかつ香水っぽい甘さ。どこかユリにも似ている。
昔のヨーロッパでルームフレグランスがわりに
されたというのも頷ける。が、
畳の部屋でお寿司を食べるにはそぐわないそんな香りかもしれない。
紅茶にクッキーのティータイムにはとても似合いそうだが。

白花よりちょっと芽の出るのが遅かった青花の方も
いよいよつぼみの塊が奥に見えてきたので、
こちらも楽しみにニヤニヤしながら待っている。

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くろけろ

Author:くろけろ
ケロをこよなく愛する玉川上水ほとりの住人です。
庭をヒキガエル様の根城にしていただきたいけど
目下果たせず。

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