玉川上水沿いのジャングルからの徒然なひとりごと

最近観た映画ー「沈黙」

2017-02-11 Sat 21:10

どういうわけか1月から2月にかけて映画を4本も観てしまい
どれもそれぞれ良かったのだが、今まだ上映中の2本のうち1本の
どうでもいい感想を書き留めてみる。ネタバレアリなので
未見の方はご注意下さい。

マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」。
クリスチャンだった遠藤周作原作のこの映画は、本との出会いから
長い年月を経て映画化されたものらしい。
その年月のうちに脚本家も監督も自身の経験から当初の印象とは
また違う、彼等なりの観点というものが醸されたと映画を見終わった後
インタビューで読んだが、確かにこれは10代が観たら
何のコッチャと思ってしまうかもしれない。
なんでそんな宗教を命をかけて信じなければいけないのか、
棄教なんて簡単な事なんじゃないの、と単純に10代の自分なら思っただろう。
人生の選択に迷ったり不条理に怒った経験のある中年以降の鑑賞に
たえうる映画な気がする。

舞台は江戸時代、島原の乱のすぐ後の頃の長崎。
キリシタンはご禁制で、雲仙の温泉では高温の温泉を
使ったキリシタンへの拷問が行われている。
そんな危ない場所へ「敬虔な師匠が拷問に負けて棄教したらしい」という情報を
信じたくない教え子の神父2人が、ポルトガルからマカオにいる日本人キチジローの
案内で、長崎へ密入国する…

スムーズで先が気になるいい展開だが、
ポルトガルで出発前に神父達が石造りの建物の階段を
降りていく姿が上から映される、このあたりがとても印象的。
神父の黒く長いローブと、白っぽい石造りの建物との対比が硬質で清廉、
いかにもキリスト教的ストイックな雰囲気だ。

ワケありで信用できなさそうなヨゴレの日本人キチジローが
神父を伴い長崎に辿り着く。
周囲の村と接触せず隠れるように生きている貧しい村人達がそこにはいた。
直に教えを授けてくれていた外国人神父は迫害されていなくなり、
「隠れキリシタン」になるしかなく、我流で本来の教えから外れてきていたため
「本物の」神父登場に喜び、少しずつ集会にやってくる村人も増えて来る。
その後キチジローのいる五島に神父の一人が渡ってそこでも歓迎される。
実はキチジローはクリスチャンでだったが、踏み絵を踏んだ事で
いられなくなって逃げたいわば裏切り者だった。

長崎の、特に五島の様子はポルトガルの教会周辺の色彩や空気感とは全く別物。
青い海に生い茂る緑と山、木造の貧しい建物。
冒頭の温泉の湯気で煙る雲仙、踏み絵の際のぬかるんだ泥、激しい雨、
海での水磔刑も湿気充分な東洋の国と、前述の白黒の世界との対比を増幅させる。
描かれる拷問は凄惨だし、出て来る日本側のキリシタン達はヨゴレの村人だし
まったく白土三平の世界の再現のようなのだが、そこに映像美を感じさせる。

ラストの方、神父が棄教した後は原作では年表のようにあっさりと描かれているという。
となるとこのラストは、監督が独自に解釈した部分ということになるのだが、
そこがとても思わせぶりに描かれていた。
何度も踏み絵を踏み、その度に後悔して許しを請うどうしようもない
キチジローが、最後まで実は棄教していなかったというのは、
棄教してしまい幕府の手先の仕事に従事する神父とここでも対比している。
しかしそのキチジローは形あるものにすがっていたがためにキリシタンであると
最後には見破られてしまう。
何度も踏み絵をくぐり抜けて来たキチジローが最後の最後で
引っ立てられるのは最大の皮肉でもある。

そして、棄教した神父が亡くなった時には彼の遺体に密かに
ロザリオが隠されていた。
心の中では棄教してはいなかった、という表現なのだろう。
本来きっとこの神父にはもう形あるもの、ロザリオは不要だったのではと思う。
「棄教していない」と映像で観客にわからせるためこう表現したのではと…
踏み絵やマリア象も、隠れキリシタンの持つマリア観音はじめとする道具類も
あくまで偶像でしかない。救ってくれる筈の神は信徒が教えのために命を
落とす時にも沈黙したまま。

その「沈黙」が作品のタイトルなわけだが、宗教うんぬん以外の
もっと普遍的な問題を掘り下げる丁寧な視点をこの映画には感じた。
キリスト教側の世界の監督が、日本人が書いた、日本を舞台にした
キリスト教を題材にした小説を、こんなに根本を問いかける映画に
したのは正直驚きだった。
幕府側、弾圧する側の役人達はキリシタンの事をよく知っていて、
非常に緻密に心理的な揺さぶりをかけて来るが、彼等にしても実のところ
極悪人でも何でも無い。
スペインやポルトガルがこの映画の時代より少し前に他の非キリスト教国に対して
してきた蛮行を思えば、幕府の処置も理解出来る。
彼等が彼等の神を信じて暮らしていたところに他所から来て「これを信じろ」と言う
自分達と、幕府の役人とで何が違うのか。…とだんだん心理的に迷いが生じて
神の無慈悲な「沈黙」に惑う神父。

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摘んできたミントと終わりかけガーベラ。

この映画に「未開の野蛮な島国」「なんちゃってニッポン」な描かれ方が無かったのは
原作のおかげなんだろうが、1つだけ文句を言うなら、緑のトカゲ。

ロケ地が台湾だったせいだろう、五島で緑のトカゲが出て来るシーンがある。
いくら九州の島でも、五島でそれは無いのでは…
一応軽く調べたら五島には普通の地味な色のは虫類しか生息してなかったようだ。
だれか日本人スタッフ気付かなかったのか。
緑のトカゲは鹿児島管轄の離島ならあり得るが、これはちょっと残念だった。

ついでに言うと、「日本人にとって神は自然」という事の演出か
オープニングとエンディングに虫の声などが効果的に使われている。
この自然の音の中の鳥の声も、なかなかに南国チックな響きが
混ざっていたような気がする。(長崎収録ならすみません、だが)
「ラスト・サムライ」で感じたニュージーランドの植生の違いほどの
違和感は無かったが、九州の方言も自然でとてもいい映画だっただけに、
こういう自然の違いはちょっと気になる。
長崎でロケして欲しかったな〜いろいろ難しかったんでしょうが。
更に言うと、1640年代なら着物や髷がああじゃなかったと思うよ。

そんな文句も、窪塚洋介演じるキチジローの前には吹っ飛ぶ。
この役者はちょっと常人には無いエキセントリックとかズレが
似合う人だが、同時にピュアで透明感があるのがスゴいと思っていた。
そして、このキチジローはまさにそのまま。
殉教してしまう神父役の俳優がインタビューで
「キチジローはもう、見てはいけないものを見た気持ちにされられた」
と言っていたが、ひょろりとした体型で何の躊躇もなさそうに
踏み絵を何度もしてこれからマラソンでもするかのように
ひょいひょいと小走りで去っていく姿は何かおかしみさえ感じられた。

そして、そんな情けないキリシタンとしては最低と思われるキチジローが、
絶対的なものと信じていた宗教に疑念を持ち、
一度その在り方を、自己を否定することになる神父と、
実はほとんど鏡のような存在だったというこの関係性の描かれ方が
とてもいい。

この映画は日本人には理解しやすいだろう。
仏教徒ということになってても普段の生活で宗教を意識しない、
世界的にかなり変わった無神論者的な位置付けの日本人は
しかし、自然に尊敬と畏怖の念を持って暮らして来たし、
人が作った「絶対的な」一神教が合わなかったというだけで
心の中では完全なる無神論者でも無いだろう。
それが前提としてわからない外国の人、特にキリスト教徒の人達が
この映画を観てどう感じるのか、それがすごく気になるところだ。
80年代にロバート・デニーロが出てた「ミッション」を観て
その一神教ゆえの権威主義、エゴイズム、2面性に受入れ難いものを感じたが、
「沈黙」は宗教対立、善と悪、という事だけではない、
立ち位置の違う相手を尊重し対話する事の大切さを描いている。
こう書くとあまりに陳腐だが、この事が今どれだけ難しく、必要とされているか。
日本を含む世界で起こってるモロモロを思うと、この映画が原作から長い時を経て今
西洋の世界の監督によって作られたことが、とても偶然とは思えず、
なるべく多くの人に観て欲しいと思える映画だ。

170126.jpg
こんないい映画なのに映画館がら空きってどういうこと?
(この後徐々に人来ましたが…それでもスカスカだったよ。平日とはいえ)

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コメント

★ え???

何、この、スカスカ!

2017-02-27 Mon 00:48 URL | ねこ #-[ 内容変更]

おかげでくつろげました。e-348

2017-03-01 Wed 19:21 URL | くろけろ #-[ 内容変更]
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