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くろけろ

くろけろ

この国は一応法治国家であり民主主義にのっとった
運営がなされている筈…なんだろうが、
どーもオカシナ事になってきているのではないかマジでと
近頃本当に思う。

いや、近頃ではない。
毎日のように原発がドカドカいってる
というニュースが流れていたあの頃から、
それでも旧来のシステムが、既得権益が、
何も変わらず誰も責任を問われないこの2年と数ヶ月、
一体、どーした事かと疑問を1つでも持たないでいる人は
いるのかと。

海が放射性物質で想像を絶する濃度で汚染されようと
海開きは行われ、魚は売られ、未だかつて無い億単位の
汚染度合いが報道されても、もう感覚が麻痺してしまっているかの
ようなスルー具合。

原発を外国へ輸出したいは再稼働したいは
さらにTPP断固反対と言って衆議院選挙で勝利した
どっかの党は、今回の参議院選でも「圧勝」すると
すぐに、本日、TPP交渉正式参加を言い出した。
先んじて参加してる国々はもはや20回近くも会議を重ねて来ている
現時点で途中参加して、日本の都合のいい関税率を保持出来るというのなら
よっぽど素晴らしい外交力と交渉力のある懐刀があるんだろう。

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今回の選挙前には、”そこの党を長い事支持して来たが
TPPについては本当にワシ等の生業を守ってくれるのか
どーも見えん、頑張ってくれるのなら投票するが…”と
迷っている第一次産業従事者の話をどこかで見たけど、
よほど大新聞やTVを熱心に見ているのだろう。

昔ならいざ知らず、今はその気さえあれば、
知りたい事は自分から調べる手段が沢山ある。
勿論その情報には虚実あるにしても、それは大手マスコミが
どこも同じ様なニュースしか流さないのと比べれば
なぜそうなのか、という事もなんとなく察しがつくというものだ。
ニュースだけではなく、過去の会議録も調べれば出て来るのだし
その候補が選挙の時だけでなく基本どういう立ち位置の人で
どういう傾向があるのか、そんな事は選挙民が自分から
調べられる時代だ。

断固反対と言っていたのがトーンダウンした時点で
おかしいと気付かないのが不思議だ。
有権者に迷いを生じさせるような、はっきりした物言いを
しない人は支持してはいけないし、いくら個人がイイ事言っても
その政党の政策に個人が逆らう事はまず無いのだから、
政党単位での方針で少しでも疑問符があれば、簡単に信用しない事が
大事なんじゃないかと思うんだけど…

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青々と育って来た田んぼの稲。

自宅近くに寝耳に水のごみ処理施設建設計画を知って以来、
時間の許す範囲内で、一体どういう人達がどんな会議をして決めて来たのか
経緯を調べたり人から教わって来たが、
曖昧な物言いしかしない議員、役所の担当者は
いつでもそうであり、一番議論して欲しい大事な事ほど
たいてい捨て置かれ、言葉の表記の問題にすり替えられて行くのを
実感した。

これはその市特有の問題ではなく、どこでも似た様な問題があり
恐ろしい程同じ様な対応だから、問題の解決にはなかなか結びつかない。
「最初に、ドコソコに何を建てる」というような
事前の仮約束のような状態からスタートすれば、多少の反対があろうと
理論が破綻しようと、そのまま進めようとするという
実に硬直化した進め方しかとれないのは当然のなりゆきなんだろう。

そこには、「お上や新聞(TV)の言う事には間違いは無い」
という今更な信仰がまだ存在して、考えようとするきっかけを
はじめから奪っている。これは選挙民のほうの問題だ。
あるいは、お上を信用はもはやしてなくても、だからといって反対はしない。
評価はしなくてもやってくれる誰かに任せるほうが気楽だから。

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風でなびく緑がキレイ…しかし洗濯物を干しっ放しにしていたある夕方、いきなりゴーという音。
こんな時間に農作業?と思ったら農薬散布が始まったのだった。慌てて取り込みましたとも。


でも、何かがおかしいという事を言うのは何の罪でも無い筈だ。
それがダメなら、もうこれはファシズムでしかない。
「何にでも反対意見はでるものだからすべての人をナットクさせるのは無理」
という理論で、反対意見をすべて一緒くたにする姿勢は、相変わらず
政治家に健在。
これは最初から説明責任を放棄しているようなものだが、
それがまかりとおっているところに、舐められてる選挙民の情けなさがあるのだろう。

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タンクの清掃とかで暑いさなか午前中断水。鍋やバケツに水をはっておく。
なんか小学生の頃の渇水を思い出す…


空気も水も、あって当たり前のように思えるが
それがじわじわと「汚染」されていて、でもどうする事もできないから
諦めるしかないと「肯定」するのか、なんとかしようとするのか、では
全然違うと思うのだが、
こんなふうにブログに好き勝手書ける状況が、常に監視され国の意向に
反するものは処罰対象、という時代に、ヘタすると片足を
この選挙でツッコンだ、と自分には感じられて怖い。

そんな大げさな、と思うかもしれないが
イ○ンに生まれ亡命したマルジャン・サトラピが書いた作品は
変化はそんなことにはまさかならないだろう、と思っていても
じわじわと進み、それに協力する人によって増幅され
法と暴力で、物が言えなくなる日常が起こりえる実例を明快に描いている。
宗教の違いはあれど、日本がそうならないという保証は、どこにも無い。

多分最初は一部のエロ系に規制がかかって、その流れが次第に拡大して
コミックや映画、出版物に、一部の政治家の意向と反する表現があれば
というふうに、実に曖昧な領域まで拡大解釈されていくんだろう。
好きなマンガがある日発禁になったらどうします?
「オタクの皆さん」と言われて自分で思い当たる方は、(ワタクシも)
自分の好きな世界だけは大丈夫、と安心してられないという事を
考えたほうがいいのでは。
およそコミックに理解が無さそうな方々が
規制規制と前のめりになる動きに、手を貸してはイケナイと思いますよ。

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最終更新日-0001-11-30
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